400年前の姿のまま現代に残る貴重な城
「松江城」は島県松江市のシンボル的存在として多くの人に愛されています。約400年間、壊れたり焼失することなく当時のままの美しい姿で天守が残っている貴重なお城です。また2015年に国宝指定されたことで、更に注目が集まる松江城を紹介していきます。
※新型コロナウイルス感染拡大防止対策に関する各施設のガイドラインや、営業時間等の変更がなされているところもありますので、ご注意ください。
松江城#晴れた城を見て落ち着こう pic.twitter.com/GrJombT6CM
— 残念神 (@t_bear0520) September 12, 2021
松江城の歴史
敷地面積、南北560m、東西360m、その周りを囲うお堀はは幅2~30m、松江市街の亀田山(標高29m)に築かれた松江城。この城は松江開府の祖「堀尾吉晴」が1607年~1611年の5年の歳月をかけ完成させました。(松江城入り口には堀尾吉晴の銅像が建てられています。)彼は、関ヶ原の戦いで功績を挙げたことから、月山富田城(安来市広瀬町)に入り出雲国を治めていきました。しかし立地の悪さや、交通の便の問題などもあり城地移転を計画。城下町を見下ろすことができるなどから、亀田山に松江城を建設しました。
明治時代には「廃城令」により、全国の多くの城が取り壊されてしまいましたが、地元の豪農家「勝部本右衛門父子」と「旧藩士・高木権八」たちが、自らの私財を投じて天守を買い戻したことで、取り壊されるはずだった城を守ったのです。その後も地元の人々の支えにより、当時のままの美しい姿で現在まで残り続けているのです。
【堀尾吉晴】はじめ岩倉織田氏に仕え、やがて信長に仕え秀吉の与力とされた。数々の戦功を挙げるも、温厚な性格から「仏の茂助」と渾名された。豊臣政権の「三中老」とも。関ヶ原の戦い直前、口論から加賀井重望が水野忠重を殺害するが、吉晴が重望を討った。松江城を築城。 pic.twitter.com/W2RA3g0jI1
— 戦国時代の個性的な人物を偏見で紹介 (@zh2wltGC3jMNOdf) September 10, 2021
戦に備えた工夫が随所に見られる屈強な松江城
白と黒のコントラストが美しい松江城は、その外見の美しさもさることながら、天守入り口に近づく敵を不意打ちするための付櫓や石落とし、城内に入られた際、敵を上に上がらせないための仕掛けが備えられた階段、長期戦に備えるための食料や塩などを備蓄するための貯蔵倉庫や飲水を確保するための井戸が城内に設けられているなど、戦に備えた知恵と工夫がお城の中にはふんだんに盛り込まれています。
お城をめぐる楽しさの一つに天守からの景色があると思います。松江城最上階「天狗の間」は手すりで囲まれた壁が一切ない作りになっており、松江市を360°見渡すことが出来る絶景ポイントです。
松江城圧巻でした!
ここまで張りと柱を見せてくれる城なかなかないですよ!
入った瞬間興奮しちゃって、一階部分だけで長居してしまいました。
最上階行くまでに凄い時間かかった。 pic.twitter.com/QdT6wHyebo— 佐藤仙人文弘/瀬戸漆喰の人 (@Don_Sena_) September 13, 2021
「松江城」の基本情報
住所 | 島根県松江市殿町1-5 |
---|---|
電話番号 | 0852-21-4030 |
入場料 | 大人:1,550円 小中高生:500円 未就学児:無料 |
営業時間 | ・本丸への入場 4/1~9/30 7:00~19:30 10/1~3/31 8:30~17:00 ・天守閣への登閣 4~9月 8:30~18:30(受付は18:00まで) 10~3月 8:30~17:00(受付は16:30まで) |
ホームページ | https://www.matsue-castle.jp/ |
交通アクセス
※以下のリンクをご参照ください。
松江城の行き方|国宝 松江城ホームページ
https://www.matsue-castle.jp/access/index