その重厚な作り、名城たる風格に感じ入る

去る戦国の世において、様々な名城を生み出してきた愛媛。この街に現存するどの城もそれぞれの特色が興味深いですが、その中において「宇和島城」は築城名人と称される藤堂高虎氏が6年の歳月をかけ完成させた一際特別な城です。一貫して深く手の込んだ重厚な作り、城全体から立ち上る趣深い風格は、城の文化に興味・愛着を持つ方々には特に感じ入るものがあるのではないでしょうか。今回はこの宇和島城について詳しくご紹介していきます。

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まずは宇和島城の歴史と成り立ちを解説

宇和島市は「伊達十万石の城下町」と呼ばれ、日本屈指のリアス海岸地帯に位置する町。その独特な町の作りを生かし、慶長元~6年(1596~1601)、藤堂高虎が宇和島城を創建。この頃には大半が海に面する地形を巧みに活かした縄張りとなっていました。その後、慶長20年(1615)に伊達政宗の長男である秀宗が宇和郡10万石を拝領し、宇和島城へ入城。宇和島伊達家が誕生したのです。
さらにその後2代宗利による城の大改修が行われ、多くの石垣や櫓が修築されました。この時、それまでの天守が当時最先端である石垣造りの天守台を持つ層塔型天守となるなど、宇和島城の特別さにさらなる磨きがかかっていったのです。

独自の仕組みで戦乱を制した宇和島城

その際立った発想力・完成度から国の重要文化財・史跡としても指定されるに至った宇和島城。中でも大きなポイントとなっているのは「縄張り」としての構造です。
地上から宇和島城を眺めると、四角い堀で囲まれているように見えますが、上空から見てみると実は五角形になっています。例えば、海以外の地上の三方向を包囲されている場合に船で海から逃げる時、縄張りが四角形だと必ず左右の敵に発見されてしまいます。しかし、ここで五角形であることで左右両方に発見されないため、難を逃れることがかなり容易になる、という仕掛けなのです。実際、往時は徳川幕府の放った隠密が江戸に送った密書の中で宇和島城を四角形である、と見誤った報告をしているケースが残っています。巧みに凝った仕組みが大いに機能していたことが伺えます。

貴重な遺構も満載!ぜひ愛媛の特別な名城へ

城のトピックとして、様々な遺構の存在も忘れるわけにはいかないところ。伊達家が城内で保有していた武器庫である「山里倉庫」は、今や数少ない江戸時代の武器庫の現存例としてとても貴重です。また「上り立ち門」という趣深い城門は、薬医門という形式の城門では最大級の大きさを誇るもの。日本で12例しか残っていない現存天守の素晴らしい絢爛さも、見逃す手は絶対にないでしょう。
眺めるほどに他の名城にはない面白さ、興味深さがどこまでも満載の宇和島城。愛媛へお越しの際には、是非ともチェックして欲しいスポットです。

「宇和島城」基本情報

住所 愛媛県宇和島市丸之内1
電話番号 0895-49-7033
入場料 大人 200円
小、中学生 無料
営業時間 11月~2月 9:00~16:00
3月~10月 9:00~17:00
休館日 無休
ホームページ https://www.city.uwajima.ehime.jp/site/uwajima-jo/ujoushiro.html

交通アクセス

※以下のリンクをご参照ください

交通アクセス|宇和島城
https://www.city.uwajima.ehime.jp/uploaded/attachment/33262.pdf