今なお目が離せない、山陰一の名城の跡地へ

日本各地に存在する戦国時代の城。その数々は観光名所、歴史的な資料価値の残るスポットとして注目され続けています。今回御紹介させて頂く「米子城跡」は、戦国時代末期頃に建設され山陰一の名城として名を馳せたという「米子城」の跡地です。城自体は明治時代に惜しくも解体されていますが、石垣や礎石などの重要な建造物が残されていたり、現代になって眠っていた遺構が発掘されるケースも起こっていたりと、目が離せない史跡として存在感を示しています。

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国の史跡として守られる米子城跡の歩み

まずは米子城の歴史を押さえていきましょう。応仁の乱が巻き起こる中、日野山名氏の一族と伝えられる山名宗之が飯山に築いた砦が米子城の始まりとされます。その後吉川広家が豊臣秀吉から西伯耆、出雲など12万石を与えられ入封。そこから城の中心人物の移り変わりや家臣同士の対立が発端の誅殺騒動などを経て、明治時代に入り士族の払い下げがあり、城は間も無く取り壊されました。
1933年には米子市に土地が寄付され、跡地は湊山公園として整備されます。その整備作業の中で遺構の発掘調査が行われ、石垣や礎石の状態が非常に良かったこと、絵図や文献資料などの充実度を鑑みられ、米子城跡は国の史跡として認定されました。

何と言っても石垣が豪華!古びない完成度に唸る

米子城跡の中でまず大きなトピックといえば、やはりあちこちに存在する石垣の存在でしょう。城への入り口のひとつである枡形虎口の辺りから、惜しげもなく完成度の高い石垣が並んでいます。そして、そこから奥へ進んだ番所跡の石垣が特に重層的、かつ多面的な仕上がりを誇る印象的なもの。戦国時代、江戸時代、幕末という3つの時代の中で変化していった石垣づくりのスタイルが全て凝縮されているというこの石垣からは、歴史の重みと往時のエネルギーが静かに伝わります。
その他にも米子城本丸の東に存在する「四重櫓台」の実にダイナミックな様相、全国各地の城を見てもなかなか存在しないという希少な「登り石垣」など、石垣にまつわる見どころが極めて多い充実の史跡となっています。

絶景スポットにも是非注目を!見どころ満載のまさに名史跡

そして史跡内でもう一つ人気の場所が天守台。米子の中でも群を抜いて美しい絶景スポットであるこの天守台は、あの秀峰大山の姿はもちろん、特に見晴らしの良い日には遠方の隠岐の島まで一望できるという素晴らしさ!これは要チェックです。
他にも戦国時代、城の防御に欠かせなかった「桝形」という出入り口部分のスペースが綺麗に残っていることも高い評価を得ていたり、春には天守郭の北下段にある遠見櫓跡の桜の木が開花し絶好のお花見スポットとなったりと、その見どころは多数。是非とも鳥取観光の際にお立ち寄り下さい。そこには戦国時代のドラマが今も生きています。

「米子城跡」基本情報

住所 鳥取県米子市久米町
電話番号 0859-23-5436
ホームページ https://www.city.yonago.lg.jp/4439.htm

交通アクセス

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交通アクセス|米子城跡