日本史のターニングポイントが刻まれた名所
今回は長崎の「原城跡」というところをご紹介します。ここは多くの人が聞き馴染みのあるでしょう、日本史のターニングポイント「島原・天草一揆」の戦いが行われた主戦場跡です。
国の史跡文化財や、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産にもなっているこの場所は、まさしく激動の日本史のワンシーンを今に伝えるスポット。長崎近郊を訪れた際には、ぜひ一度目にしておきたい場所です。
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「島原・天草一揆」の空気が確かに伝わってくる
まずはこの原城跡の歴史を見ていきましょう。もともと原城は1496年、当時26万石とも称された領主・有馬貴純によって築かれたと言われ、有明海に囲まれた完璧な難攻不落の状態を誇り、気高い姿は「日暮城」とも呼ばれました。
1637年、その時には廃城となっていた原城に一揆が籠城したのを「島原・天草一揆」と呼びます。年貢を納められない農民、改宗を拒んだキリシタンに対する残忍な拷問・処刑への反発から起きた大規模な内戦であるこの一揆は、その激しい混乱ぶりと共に日本の歴史に刻まれた重要な戦い。これを伝える遺構として、長らく大切にされ続けているのが原城跡なのです。
様々な歴史的見どころを押さえていきたい
それでは、原城跡にあるいくつかの見どころを押さえていきましょう。
原城跡に残された遺骨を敵味方なく拾い集めて供養した「ほねかみ地蔵」という地蔵塔は、その強い物悲しさが自然に目を惹きます。国内最大級の虎口(城の主要な入り口)遺構として重要な「枡形虎口」は、南北90メートル・東西80メートルというかなりの大きさ。今では失われたこの城の壮大さを確かに伝えています。
歴史的発見、祈りの念を感じさせてくれる場所
様々な遺構の他にも、南島原市出身の彫刻家・北村西望による島原の乱の総大将をかたどった「天草四郎像」、民家の石垣の中に埋もれていたという彼の墓石である「天草四郎の墓」も存在。目の前を有明海、背後に雲仙岳を望むロケーションの良好さもポイントと言えるでしょう。「日暮城」と言われるほどに美しかったという往時の姿も連想できます。
多くの歴史的な発見、そして時代を超えた祈りの念を感じられる、長崎の素晴らしい観光スポットです。
「原城跡」基本情報
住所 | 長崎県南島原市南有馬町 |
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電話番号 | 0957-73-6706 |
ホームページ | https://www.city.minamishimabara.lg.jp/kiji0035638/index.html |
交通アクセス
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交通アクセス|原城跡
https://www.city.minamishimabara.lg.jp/kiji0035638/index.html