イスラム圏からの旅行者と日本の受け入れ体制

日本の観光産業には、これまでにない新たな潮流が生まれつつあります。
それが、「プライベートジェット」で来日する富裕層旅行者という市場です。彼らは、ラグジュアリーな体験を求めて日本を訪れ、高級宿泊施設、ミシュラン級の料理、文化体験などに対して高い支出意欲を持っています。

こうした訪日客は、一般的な団体旅行とは異なり、事前の細やかな対応やカスタマイズが必要な反面、その経済効果は圧倒的。地域経済や観光地のブランディングにとって、大きなインパクトをもたらす存在です。

しかしながら、せっかくのチャンスを目前にしながら、それを“対応できない”という理由で逃してしまったケースが実際に発生しています。

相談を受けてすぐに「お断り」 —— その根拠は?

先日、某地域のとあるホテルに、イスラム教の国からプライベートジェットで来日する団体から、ハラール対応食の提供を含む宿泊の打診が入りました。ところがホテル側は、

  • ハラール専用厨房がないため対応できない」
  • 「何かトラブルが起きた場合、責任を負えない

という理由で、本件をお断りになりました。

本件の詳細をフードダイバーシティ株式会社が確認したところ、以下のような回答がありました。

── お客様から『ハラール専用厨房で調理してほしい』と要求されたのですか?
担当者:「いいえ、それは確認していません。インターネットで調べたところ、専用厨房が必要だと書いてあったので、当ホテルでは無理だと判断しました」

── お客様から『トラブルになったら、●●してください。』と要求されたのですか?
担当者:「いいえ、それも確認していません。宗教ごとなので慎重に対応すべきと考えています」

“できない”の前に“何を求められているか”を聞く

確かに、厳格なハラール対応を求めるイスラム教徒もゼロではありません。

  • 施設としてのハラール認証の有無
  • 食材や調味料の確認
  • 調理器具・調理台の区分け
  • アルコールを含まない衛生管理剤の活用

場合によっては上記を細かく聞かれるケースもあるでしょう。

しかしながら、イスラム圏ではない日本で上記のような厳しい条件を求めてくることは極めて稀であることも事実です。それにもかかわらず「ネットの一般論」だけを根拠に受け入れを断るのは、残念ながら“ビジネス機会の放棄”と言わざるを得ません。

差別リスクとブランド価値の損失

さらに深刻なのは、こうした一方的な判断が「イスラム教徒は受け入れられない」=“イスラム教徒お断り”という印象を与えかねないという点です実際に、求められてもいない“専用厨房”を前提に断りを入れた対応は「宗教的な理由で顧客を選別している」と受け取られるリスクを孕んでいます。

現在のグローバル社会において、多様性(ダイバーシティ)への理解と尊重は、ホテル業界にとって不可欠なブランド要素となっています。特に富裕層旅行者は、自身の文化や価値観を尊重してくれる施設を重視する傾向が強く、対応次第ではSNSや口コミサイト、メディアでの報道を通じて、国際的なレピュテーションに直結する可能性もあるのです。

仮に差別的な意図がなかったとしても、「確認もせずに断る」「前提条件を誤って理解する」などの行動は、無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)として可視化され、結果的にブランドへの信頼を損なう行為とみなされかねません。
このような事例が積み重なれば、訪日旅行市場における“日本のホスピタリティ”全体への信頼低下にもつながりかねず、今後の観光戦略にとっても大きな課題となるでしょう。

厳格な対応を求められたとしても

仮に「ハラール専用厨房での調理」「ハラール認証の取得」が求められた場合であっても、それは断る理由ではありません。必要な対応にかかる追加費用を明確に提示すればよいだけの話であり、ビジネスとして冷静に対応すべき事項です。

「費用をいただければ対応可能です」と誠実に伝えるだけで、相手からの信頼を得るきっかけにもなりますし、それを払うか払わないかを判断する材料にもなります。

重要なのは、まずハラールの基礎を正しく学び、自社でどこまで対応できるのかを整理し、相手に正確に提示することです。これにより、相手との信頼関係を築きながら、現実的な選択肢を模索することが可能になります。

ビジネスの本質は「お客様のニーズに応えること」

今回の事例は、日本のホスピタリティ業界が今後直面する課題を浮き彫りにしました。
“できない理由”を探すより、“どうすれば実現できるか”をお客様と対話しながら構築する——それこそが、これからのインバウンド時代の競争力ではないでしょうか。

プライベートジェットで訪れる富裕層旅行者は、単なる宿泊客ではなく、地域経済に波及効果をもたらすハイエンドマーケットです。「ハラール専用厨房がない」という理由だけで扉を閉ざしてしまうのか。あるいは、柔軟なオペレーションと真摯なコミュニケーションで世界のVIPを歓迎するのか。
日本の観光産業はいま、選択を迫られています。