(3/3)Global Muslim Travel Index 2025を日本語に要約
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【中編】インクルーシブな観光の未来を探る:GMTI2025徹底解説はこちら
【目次】
- GMTI 2025概要
- ACES & RIDA: 評価モデルの進化
- ムスリム旅行市場の規模と成長
- 新指標: RIDA Impact Score (RIS)
- インクルーシブ旅行の拡大
- 注目のトレンド
- 非OIC勢の調査・分析
- デジタル・インフラの強化
- 地方政策と戦略
- GMTI 2025 上位ランキング・データ
- 日本のポジショニング分析
- 決定技術: AI & ロボティクスの影響
- 社会ディスラプション: イスラモフォビア対応
- 2030年への観点: カジュアルな繋がりと信頼性
- 総括: GMTIの意義と未来
11. 日本のポジショニング分析
2025年版「Global Muslim Travel Index(GMTI)」における日本のポジショニングは、前年より順位を下げる結果となり、非OIC(イスラム協力機構)加盟国の中でも存在感が相対的に後退した。これは、他国がムスリム旅行者向けの戦略を強化する中で、日本が継続的な対応を十分に行えていないことが背景にある。
一時期、日本は訪日ムスリム旅行者の増加に対応し、ハラール対応店舗や礼拝施設の整備、観光案内所での多言語対応を推進した。特に2013年から2019年にかけては、インドネシア、マレーシア、中東などからの観光客増に呼応するかたちで「ムスリムフレンドリー・ジャパン」としてのブランド構築が図られた。
しかし、2020年以降のパンデミックと観光政策の優先順位変化により、対応の進展が一時的に停滞。また、GMTIで高評価を得る国々(シンガポール、香港、台湾、英国など)が積極的に制度整備・マーケティング・ハラール対応を推進したこと比べて、日本では地方との連携不足やハラール対応の未整備といった課題が顕在化している。
特に地方都市では、ムスリム旅行者に必要とされる基礎インフラ(礼拝施設・案内表示・ハラール飲食)が十分に整っておらず、“対応に地域差がある”という印象が強まっている。これは、GMTIのACES(Access, Communication, Environment, Services)モデルで見ると、「Access」「Services」の分野に課題が残っていることを意味する。
一方、今後の改善余地も大きい。例えば、観光庁や地方自治体が推進する「多文化共生観光戦略」や、訪日ムスリム向けアプリ・ガイドの整備、飲食・宿泊事業者への教育などは、今後のスコア回復の鍵となる。また、2025年大阪・関西万博やインバウンド再拡大を見据えて、“一貫性ある受け入れ体制”の構築が急務である。
総じて、GMTI 2025における日本の評価は、「一定の基礎整備は進んでいるが、国際競争力としては伸び悩んでいる」状態といえる。今後の戦略次第で、日本は再びアジアのムスリム・フレンドリーモデルになれる可能性を秘めており、持続的かつ分散型の取り組みが求められる段階にある。
12. 決定技術:AI & ロボティクスの影響
GMTI 2025における重要な注目点の一つは、AI(人工知能)およびロボティクスの導入が、ムスリム旅行体験の質と効率に与える影響である。旅行業界全体が急速にデジタル化する中、ムスリム市場特有のニーズに対して、これらの技術がどう応えるかが評価軸として浮上している。
まずAIについては、パーソナライズされた旅行体験の提供に大きな役割を果たしている。たとえば、AIを活用した旅行アプリや予約サイトでは、ユーザーの宗教的嗜好(例:ハラール対応、礼拝施設の有無など)に応じた宿泊・飲食・アクティビティの提案が可能となっている。旅行前・旅行中の行動データを学習し、旅程の最適化や安心材料の提示を自動化できる点で、特に初めて訪れる国で不安を抱えるムスリム旅行者にとっては大きな安心材料となる。
また、自然言語処理(NLP)による多言語対応チャットボットも、宿泊施設や空港、観光案内所で活用が進んでいる。英語やアラビア語などの主要言語だけでなく、マレー語、ウルドゥー語といったムスリム人口の多い地域の言語への対応が広がることで、文化的誤解を防ぎ、スムーズなコミュニケーションが実現されている。
ロボティクスの分野では、宿泊・接客分野での非接触サービスの提供に注目が集まっている。特にパンデミック後においては、ロボットによるチェックイン、ルームサービス、ナビゲーションが注目されており、プライバシーと衛生に配慮するムスリム旅行者にとっては大きな利点となっている。また、音声認識を活用した礼拝時間のお知らせや方角案内機能など、信仰支援技術の開発も進んでいる。
GMTI 2025では、こうした技術的進化を「RIDA(Responsible, Immersive, Digital, Assured)」モデルの“Digital”と“Assured”の側面に関連づけて評価。特に安心感と信頼性(Assurance)を高める技術として、AIによる衛生管理通知、リアルタイム混雑情報の提供などが含まれる。
一方で、AIやロボットの活用には、データの透明性・宗教文化への配慮・誤認識への対策など、倫理面での課題も残されている。たとえば、AIがハラールかどうかを誤って判断した場合のリスク、信仰に関連する情報をどの程度パーソナライズするかといった問題がある。
総じて、AIとロボティクスは、ムスリム旅行体験の安全性、快適性、利便性を飛躍的に高める鍵であると同時に、技術導入には文化・宗教的理解と社会的責任が求められる。GMTI 2025はこの点を正面から取り上げ、「人にやさしい技術革新」が観光業の未来に不可欠であることを示している。
13. 社会ディスラプション:イスラモフォビア対応
GMTI 2025では、ムスリム旅行市場における持続的成長と並行して、社会的ディスラプション(混乱)要因としての「イスラモフォビア(イスラム恐怖・嫌悪)」への対応力が新たな観点として重要視されている。これは単なる社会課題としてではなく、観光地としての信頼性と包摂性を測る新たな尺度として取り上げられており、旅行者の心理的安全性が旅行先選定の大きな要素になってきていることを示している。
イスラモフォビアとは、イスラム教やムスリムに対する偏見・誤解・差別的態度を指し、とくに欧州や一部アジア諸国では過去数年、移民問題や過激派報道と絡めて社会的緊張が高まる事例が報告されてきた。旅行者にとっても「見えない不安」や「文化的な無理解」が旅の満足度に直結する要因となる。
この問題に対し、GMTIでは各国・地域の観光政策や社会環境における宗教的寛容性、通報制度、教育・啓発活動、観光業界の研修体制などを評価項目の一部として組み込み、「いかにムスリムが安心して訪れられる環境か」を測る指標として重視している。
特に先進的な取り組みが評価されたのは、イギリスやシンガポール、UAEなどの国々。これらの国々では、ムスリム住民との共生が文化や制度の中に根付き、観光現場での差別防止ガイドラインや、公共機関における多文化対応研修が整備されている。一方で、イスラモフォビアに対して十分な対処が行われていない国では、旅行者からの信頼度が低下し、リピーター率や評価スコアの低下につながっているケースも見られる。
加えて、2025年版ではSNSやレビューサイトにおける“旅行者の声”がリスク可視化の指標として重視されている点も注目に値する。旅行者が現地で感じた不快感や安心感がリアルタイムで共有される今、観光地の“信頼”はより動的かつ透明なものとなっている。
日本においても、ムスリム旅行者への配慮は年々進んでいるものの、接客現場での知識不足や宗教的誤解によるトラブルの未然防止策はまだ道半ば。今後の成長のためには、制度面だけでなく「心の受け入れ体制」としての研修・教育・地域理解が不可欠である。
総じて、イスラモフォビアは単なる社会現象ではなく、観光地の魅力と安全性を左右する構造的要因の一つとして位置付けられつつある。GMTI 2025はこの課題を可視化することで、観光業が果たすべき社会的責任と倫理的姿勢を明確に提起している。
14. 2030年への観点:カジュアルな繋がりと信頼性
GMTI 2025は、2030年に向けたムスリム旅行市場の持続可能な発展を考えるうえで、「カジュアルな繋がり(casual connectivity)」と「信頼性(trustworthiness)」という2つの価値観を重視している。これは、旅行者が求める体験が「設備の有無」から「人との関係性」や「文化的安心感」へと移行していることを示している。
カジュアルな繋がりとは、旅先での偶発的な出会いや、文化を超えた気軽な交流を通じて生まれる共感のこと。ムスリム旅行者にとっても、礼拝施設やハラール食の整備と同じくらい、地元住民との自然な関わりや温かい接し方が重要な要素となってきている。情報があふれる時代だからこそ、“体験の本物感”が差別化の鍵となる。
一方、信頼性は、施設やサービスが宗教的・文化的ニーズに対して一貫して配慮されているか、対応が誠実で透明かという評価軸を指す。これは単なるマーケティングではなく、現地の人や事業者がムスリム旅行者を理解し、尊重しているかという姿勢そのものである。テクノロジーが発展しても、「信頼」は人間の行動と態度によって築かれるものであり、旅行先選びに大きな影響を与える。
これからの観光戦略では、都市の利便性だけでなく、地方やコミュニティが持つ“つながりの力”が再評価されるだろう。GMTIは、物理的インフラやサービスの充実だけでなく、目に見えない安心や共感をどう生み出すかが、2030年に向けた持続可能な観光の本質であると位置づけている。
この視点はムスリム旅行市場に限らず、すべての文化や宗教的背景を持つ旅行者にとって共通する課題であり、「誰もが歓迎されていると感じられる旅行体験」の実現が、観光地としての本当の価値になるとGMTIは提言している。
総括:GMTIの意義と未来
Mastercard-CrescentRatingが発表する「Global Muslim Travel Index(GMTI)」は、単なる観光ランキングを超え、世界の旅行・観光業界における“信仰と共生”のあり方を映し出す国際的指標として重要な役割を果たしている。2025年版で第10回目を迎えたGMTIは、今やムスリム旅行市場の成長性だけでなく、旅行を通じた文化交流、包摂、持続可能性の進捗を示す「羅針盤」としての意義を強めている。
まず、GMTIが可視化するのは、約20億人を超えるムスリム人口に対する「対応力の差」である。各国・地域がイスラム教徒旅行者に対してどのような施設・サービス・政策を提供しているか、さらには文化的尊重や信頼構築にどこまで取り組んでいるかを、定量と定性の両面から評価している。特に2025年からは、ACES(Access, Communication, Environment, Services)に加え、RIDA(Responsible, Immersive, Digital, Assured)という視座を導入し、“体験の質”や“未来への適応力”も含めた包括的評価へと進化した。
また、GMTIは観光産業において、“ハラール=宗教的制約”という一面的な理解から脱却し、多様性を受け入れる成熟した市場の設計図を描くツールとも言える。RIDA Impact Score(RIS)の導入により、観光がいかに信頼性、没入感、持続性のある体験を提供できるかが数値化され、国や都市、事業者の戦略的意思決定を支えている。
GMTIの意義は、経済的な指標としての旅行消費額や訪問者数の評価だけでなく、「ムスリム旅行者が“歓迎されている”と感じられる社会かどうか」という根本的問いを投げかけている点にある。その背景には、近年問題視されるイスラモフォビアや文化的不寛容への反省も含まれており、観光業が果たすべき倫理的責任が明確にされている。
そして、GMTIは2030年に向けたムスリム旅行市場の成長(推定2.45億人、2,350億ドル規模)を見据え、観光を通じた国際的信頼構築と共感形成の可能性に言及している。評価の最終指標は「インフラの数」ではなく、「心の受け入れ体制」にある。すなわち、“ハラール対応の店があるか”よりも、“そこにいる人々が自分を理解し、歓迎してくれていると感じるか”が、旅行体験の質を決定づけるのだ。
総じてGMTIは、経済と倫理、テクノロジーと人間性、宗教と公共性のバランスを問い直す指標として、世界の観光業に問いかけ続けている。旅行という行為を通じて、異文化が交わり、社会が開かれる未来。その未来をつくる一助として、GMTIはますますその存在感を高めていくだろう。